おふくろは何処だ? (PD-24)

おふくろが消えた。何処に行った?始めはインドからパキスタンの国境を入った所ではないかと思った。しきりと地図らしいものが見える。僕はインドもパキスタンも行った事はない。そのあとは札幌の街の中を探していた。おふくろは生きているのか死んでいるのか?どうも死体を捜しているようだ。(実際はもう10年以上も前に死んでいる)札幌の駅前大通と三越のある?交差点、札幌一番の繁華街と薄野の交差点の中間位の、左手にある白いビルの入り口付近を捜している。ビルの脇の物入れや地面に開けられた穴を、取っ手を引いて中を覗き込んでいる。母はどうも白い和服を着ているようだ。(大昔は白服は喪服だった。中国の事だったっけ?)

そこに次兄も加わって探している。次兄朋ちゃんとはもう7〜8年も前に喧嘩別れをしている。その頃僕は会社を潰し自己破産もし、回復しようとしてフリーで必死に頑張っていた頃だ。次兄も僕より前札幌でやっていたコンビニを潰し、そのあげく生活保護を受けて生活していた。それ以前に急に電話がかかってきて、少なくない金を何度か貸した。コンビニ経営の支払いが出来ないとの、切羽詰った電話だったのでやむを得ず用立てた。つまり結果的にはどちらも潰れた。

喧嘩をしたのは、と言うより付き合いを絶ったのは、お互い潰れた後、毎年正月に次兄から電話があり、お互いに近況報告などをしていたが、次兄の態度があまりにも悪かったからである。世の中はチョロイというような事を言った。生活保護でノンビリ暮せると…。僕の方は自分の会社と仕事を、全知全能をかけてやってきた。決してチョロイものではなかった。潰した後も必死になって回復しようとしていた。でも世の中そんなに甘いものではない。今では会社を潰して周りや社会に迷惑をかけたので、幾ら一生懸命頑張っても、10年間は天のペナルティで苦しむのではないかと思うようになった。

今年の12月10日?でやっと10年が経つ。それでやっと会社を潰した罰則期間が終わるのではないかと思うようになった。それまで幾ら良い企画を書いても成果がなかった。最も一人で幾ら良い企画を書いても、それを成立させるのは難しい。社会的制裁も10年である。だから今も僕の名はブラックリストに載っていて、銀行から金を借りるどころか、クレジットカードも作れない。でもカードのない世界も気楽である。今も多くの人が多重債務で苦しんでいる。宮部みゆきの「火車」はその辺をついた力作である。宮部はこれで山本周五郎賞を取っている。

話は飛んだが、次兄のその不真面目な態度に腹が立ち、それ以来付き合いを絶った。しかしジタバタしても僕も今年でもう66歳、もう仕事上の回復は難しいかもしれない。それとこの頃僕の方から次兄に電話をしようかと考えていた。いまさら負け組同士で、しかも兄弟で顔を背けあっていてもしょうがない。おふくろもそれを心配して夢を見せたのか?次兄の姿まで見せて。次兄が夢に出てきたのは初めてである。その内ヒョッコリ電話をしてみよう。姉に言わせると次兄は僕を怖がっているようだ。お互い生きているうち仲良く言葉を交わしたほうが良い…。それと僕のおふくろは感じが緒方貞子さんに少し似ている。  (2010年1月9日)