シニア・ツアー (PD-46)

RBがやってきた。僕にシニアツアーの運営をやらせたいらしい。その後ろにサブのHBがいる。HBは僕のテニスの好敵手、どちらもへぼテニスだ。でもアメリカ人なので思いっきり打つ。僕もドカンショットを打つのでちょうどいい組み合わせだった。でも夢の中のHBは凄く老けていた。10数年前一緒に仕事をしていた時はまだ40台半ばだった。だから今も60には手が届いていない筈なのに、夢の中ではもうヨレヨレだ。それに比べRBは昔のままだ。多分60台半ば、昔のままで老けた感じはしない。

RBはアメリカのスポーツ・マーケティング会社プロサーブの社長で、HBは副社長だった。そこを辞めて新しい会社を立ち上げ、コナーズやマッケンローを擁してシニアツアーを始めた。僕はその日本のプロモーターだった。僕はその日本大会を5年間やったが、結局赤字で会社を潰してしまった。テニスの興行などは儲からないものだ。例え有明を満員にしても、余程冠協賛料に恵まれないと継続していけない。

僕の大会の冠協賛料は1.5億、いくら努力しても毎年2〜3000万の赤字が出た。幾らスポンサーに事情を話しても協賛料を上げてくれなかった。2億あれば逆に毎年2〜3000万の黒字になったのに…。その為僕はその後相当厳しい思いをした。小さな会社だったので会社の破産は個人破産も意味したからだ。僕は職人気質だったので、僕の会社はそんなに厳しい経営状況に見えなかったのだろう。良い仕事をする事に集中し、金の事は余り考えなかったから…。

RBは僕と次の大会の打合せを始めた。出場選手12人の名前を話し出した。でもあれから10数年、もうマッケンローやコナーズやビランデルもヨレヨレだろう。余り歳をとりすぎた選手はテニスの場合厳しい。ゴルフなんかより動きが余程激しいから、せいぜい40手前までだろう…。僕の周りを首にしたSDが相変わらずチョロチョロしている。夢の中とはいえRBが僕を尊重してくれるのは有り難い事だ。もう昔のようにバリバリやる体力はないけどネ…。  (2010年3月6日)