専務理事に噛み付く(PD-48)

画面は薄暗い。僕はその中でテニス協会のあるイベントの打ち合わせに参加していた。そのイベントは実質的には僕が仕切るらしい。僕の周りにはドクターTSや協会の実力者達がいた。あの怪しいドクターMEやSDも離れた所にいる。そこに専務理事のMGが近づいてきた。僕の前で止まり僕に「よろしく頼むよ」と言った。本来なら「ハイ分かりました」と言うべき所だろう。彼は知的な経営者のような顔をしていた。しかし実際僕の知っていたMGとは違う顔だ…。

僕は彼の顔をジッと見て訪ねた。「貴方は実際今まで何をやられたのですか?」彼は怪訝そうな顔をして「それはどういう意味かネ?」と逆に聞き返してきた。回りの人達が唖然として僕を見つめた。「それは言いすぎじゃあないか」と言う者もいた。そしてMGはしばらく無言で僕を見つめていたが、その内僕から離れていった。夢とはいえ何でこんなキツイ事を言うのか?相手に対しても失礼だろうが…。

僕は昔広告屋としてテニス協会に出入りし、ジュニアの企画を何回か書いてきた。その結果として14歳以下のジュニアの世界大会を7年やり、レイティングの大会も数年やった。自分の会社の開発費を1000万円以上使い会員を1万人近くまで増やし、全国でレイティング大会をやった。そしてレイティング・システムは協会の資金源になると思い、会社の反対を押し切ってこの仕事を協会にそっくり渡した。他のスポーツもそうだがテニス協会も活動資金に苦労していた。レイテイングは一般市民へのテニス普及システムで、アメリカで成功していた仕組みであり、アメリカでは会員が既に200万人もいた。

つまり僕が協会の協力で集めたレイティング会員1万人だけでも、査定料が5000円なので合計5000万円になる。その頃日本のテニス人口は1300万人と言われていたから、その10%を取っただけでも130万人、65億円になる。その可能性は充分にあった。広告・販促費、査定実費を引いても(査定費用は地域協会に落ちる)協会への残りが30%として20億弱が残る。このお金を使えばジュニアの育成や一般市民への普及など充分に出来るハズだ。しかし協会はこの可能性を理解していなかった。多分分かる人間は一人もいなかっただろう。この仕組みを動かす為には当面担当者が一人とアシスタントの女性が1〜2人いれば、充分協会内で処理できたハズだ。

ところが専務理事のMGはこの仕事を外部へやってしまった。昔個人的に世話になった人へのお返しとして。僕はあまりの事に唖然とした。こいつらは何も分かっていない。協会の役員は昔の名選手ばかりだが、テニスバカの頭がカラッポな連中ばかりだ。(名選手と言っても世界には通用しない名選手)テニス協会はその内このイベントでスポンサーを怒らせ、会員も増やせず、数年も持たずこの仕事から手を引いてしまった。そして専務理事はその責任を取らされ辞任した。あまりにもバカバカしい子供の使いのような話である…。しかしこれはプランナーとして僕の読みが甘かったと言う事だ。

SPやイベントの仕事は実際は非常に難しい。僕が日常業務で色々なイベントをやっていたとしても、これを他の人に、しかもテニス馬鹿にやらせるのはどだい無理だったのだろう。だからこの失敗は僕が悪いのだ…。(普通の日本人は想像力が不足している。僕は世界大会を初め色々なイベントをやってきたが、それが実際動き出すまで僕の周りの人達は誰も信じなかった。イベントが実施されてもポカンとしていた。まるで魔術を見るように…)

でもいまさらこんな夢を見らされ?専務理事にきつい言葉を発してどんな意味があるのだろうか?昔の失敗に対する僕の潜在意識が、歳を取ってからジクジクと蒸し返されるだけなのか?困ったものだ…。僕は今までの失敗や不成功の思いを抱いて、このまま老化し朽ちて果てていくのだろうか?大体僕が企画屋として日本のジュニアを強くしようとする事自体にかなりの無理があった。男子テニスとアルペンの滑降・大回転で日本にメダリストはいない。つまり体力的に無理なのだ。

例えばテニスの四大大会で勝ち進んでいくには、灼熱のコートの上で一試合4〜5時間も戦い続けなければならず、ひ弱な日本人、東洋人には無理な事なのだ。(これに耐えられるのは化け物のような体力を持つ白人や黒人達だけだろう)例え少し頑張っていても、大抵は足や腕を痛めリタイアしてしまう。特にこの頃体力の落ちている日本人には無理である。これは食事の問題もある。(日本の食品は化学物質・化学薬品漬け、これが子供の健康・体力に目に見えない深刻な影響を与えているハズだ)

僕はこの頃昔の夢を良く見るが、見果てぬ夢を良く見るが、でも今まで一生懸命やってきたハズだ。だから成功・失敗に拘わらず、自分が精一杯やってきた事は決して無意味ではない。自分なりに充実感を持っても良いハズだ。だからもうソロソロ次のステップを考えた方が良い。もう広告屋として活躍できなければ(66歳だから…)田舎へ行って安い借家を借り畑を耕してもいい、昔の事をジクジク夢に見ても仕様のない事だ。ソロソロ次のステップを考えよう…。 (2010年3月11日)