堂々巡り (PD-90)

この数日あまり記憶に残る夢は見ない。しかし昨日はとんでもない一夜だった。娘夫婦が大喧嘩をした。といっても何時も姉の方から突っかかる。しかも原因は些細な事だ。昨日も娘が両手に荷物を抱え帰ってくると、タマタマ玄関のドアがバタンと閉まった。旦那は宅急便を受け取りそのままドアを閉めたらしい。これで娘がカッと来た。その後は修羅場である。娘は旦那にものを投げつけた。それが顔に当たり旦那の顔に血が滲んだ。旦那は「お前は頭がおかしいんじゃないかッ!俺は何にもしていないよッ」と叫んだ。娘が金切り声を上げる。娘は少しヒステリー気味だ。あまり長く続くので仕様がないので分けて入った。僕は娘に「冷静になれッ!」と叫んだ。ここでお前が悪いなんていうと益々荒れ狂う。

しかしこの争いには原因がある。今日は娘が長く派遣社員をやっていた大手携帯会社を辞めた日だった。明日からは昔の上司だった同社の横浜の出先に移動する。(でも良く引き取ってくれたもんだ)娘としては収入が減るし、旦那は外資系生保の営業マンで殆ど収入がない。それに対する不満・鬱積が溜まっていた。だから些細な事で発火する。しかし旦那をダメにしたのも娘の我儘である。彼はホテルの専門学校を出て大手外資ホテルに勤めたが、土日に休めなかった為娘が不満を抱き彼を辞めさせた。結局娘の我儘で彼の人生をダメにしたのである。だからこの夫婦は負の連鎖に陥っている。僕らもなるべく早くこの家から出て行ったほうが良い…。

だから今夜は怖い夢を見るかもしれないと恐れていた。しかし夢はどうでも良いような内容であった。僕は仕事場でYM新聞のやり手のTZ氏の訪問を受け、飲みに行こうと誘われる。僕は元DA社の営業本部長をやっていたKNを誘いに行く。KNは僕の一代前の営業本部長で彼がDA社を辞めた為、その役割を僕が肩代わりする事になった。企画職人の僕には営業のボスは務まらない。わずか一年で部下のクーデターにあって撃沈だった。僕はその後仕事仲間のTRを探す。彼も元DA社のコピーライターだった。彼が組合の委員長であった時また労働争議が起き(この会社はしょっちゅう労働争議を起こし、そのたびに経営陣を追い出す)お父さん社長のKMを辞めさせた。KMは彼の仲人だった。彼はその責任を取り早々とDA社を辞めた。僕は彼らを探し回り、古い木造の2階建てを上へ下へと堂々巡りする。夢はそれだけである。

YM新聞のTZ氏は僕の貴重なイベント仲間であった。彼はやり手で幾つかのテニスイベントを一緒にやった。YM新聞は主催や後援をやってくれた。14歳以下の世界大会をやった時には一緒に大手通信会社へ行き、広報部長を説得し1億5000万円の冠協賛料を引き出した。このイベントは7年間続いた。今はもうYM新聞を引退し大学でマスコミ論を教えている。といっても週一だが。彼の思い出話はいつも社会部の記者の時、あの三浦和義?を追い詰め、締め付けた事である。その男も既に殺されたか死んだ…。時はアッという間に過ぎていく。その内懐かしい彼と会って軽く一杯やろう。  (2010年7月1日)