KA家の呪い (BD-01)

今日は我が家KA家の呪いの話。我が家は父も母も信心深く、毎朝神棚と仏壇に手を合わせるような家だった。(昔は他の家もほとんどそうだった、今のように皆が不信心になったのはいつの頃からだろう…たぶん核家族とかマンションとかいう言葉が出てきてからかも知れない)それと毎月祈祷師に来てもらい毎月の占いをしてもらう。(これも世界中どこにでもある古い信仰の形、一種のシャーマン文化)だから我が家がわりとスピリチュアルであることは今までに語った。我が家は一種の成り上がりの家であった。といってもそれほどの大きな成功をした訳ではない。昔のことで父が尋常小学校を出てすぐ奉公に出て働きに働き、最後は中堅食品会社(最大時で売上500億程度)の専務であった程度である。父は働きづめで出張の途中倒れ入院した。胃癌の末期であった。それから半年後に父は死んだ。

それ以後次々と我が家に不幸が襲った。まあ一家の大黒柱が倒れれば普通その家はどんどん没落していくのは普通のことである。我が家で最も優秀で、地方の国立大学で統計学助教授であった長男が、真夏のある日小樽の防波堤に釣りに行って海に落ちて死んだ。泳ぎは出来た人だった。これらの不幸続きを姉は怪しんだ。姉も信心深く、そのうち先祖供養(一種の宗教?)に熱心になり、我が家の父方の先祖を調べ始めた。というのは父方の親戚にわりと不幸が多かったからである。そして色々な事が分かってきた。父方の先祖は江戸にいた城大工で(だから名前は住んでいた町にちなんでKAとした)幕末海防が騒がしくなった頃、松前城を普請するために北海道に渡った。その後維新を迎え先祖の一部は小金もあったのか、その頃ニシン漁で湧いていた江刺に移った。

彼はそこで慣れないのに、海のことがよく分からないのに、ニシン漁の網本になった。ある日海が荒れているのに、彼はニシン船を出した。しかし荒れ狂う海の中でニシン船はみな沈み、二十数人が死んだ。網本として大きな判断を誤ったのである。その結果KA家は遺族への保証やそれにまつわる事どもで、当然破産してしまった。だから父親は尋常小学校を出ただけで、小樽に奉公に出されたのである。姉がシャーマンにより、水没した漁師達を呼び出すと、彼らは恨みつらみを述べ、海に沈んだ時の修羅場の叫び、呼び交わす声が聞こえ、そしてKA家を恨み呪う、これからもKA家で大事な人間から連れていくと言ったという。アア!我が家は呪われていたんだ。だから次々に不幸なことが起こる。姉はこの事に驚愕し、さらに信心深くなり毎日祈祷を繰り返すようになった。

僕はKA家の三男であるからKA家の重要度は低いのと、いずれ人間は死ぬのだから、それと寿命は天命だと思っていたのであまり気にしないでやってきた。KA家の先祖が大工だと言うことは、親戚連中を見ればわりと納得する。大工、家具職人、絵描きが多い。僕も美大を出若い頃はデザイナー、イラストレーターだった。血は争えないものだネ…。以上のことはあまり気にしていないが、網本をやった先祖についてはやや軽率かなと思う。やはり海や山に出る人は観天望気が出来なければ危ないし、ましてや多くの漁師の命を預かる網元であれば素人判断などは危険である。たぶんその時盛んであったニシン漁で一儲けしようと考えたのかもしれないが、浅慮・愚行と言わざるを得ない。未熟な判断で多くの人を死なせるのは大きな罪である。その家族まで不幸にする。大変申し訳ありませんでした。先祖に代わり深く謝罪いたします。

やれやれ…今日は気の滅入る話でした。   (2009年10月6日)