恋路を邪魔するもの (BD-3)

昔々ある所に一人の若者がおりました、といっても僕の事。僕は札幌の大学を出、父のコネで電通北海道支社に契約デザイナーとして潜り込みました。ところが運悪くその年の3月15日、僕の卒業式の日に父は胃癌でまだ59歳の命を散らしました。コネの力が弱まった僕は、東京から回されてきた新人達に虐められました。へたに仕事ができたため余計に虐められました。とうとうその年の冬堪忍袋の緒が切れ僕は電通を止めました。もうコネは嫌だと思いました。そして母にねだって買って貰った、その頃出たばかりのカローラに乗って東京に向かいました。足には長靴を履き、車にはスノータイヤを履き、地図も持たずに旅立ちました。途中吹雪のオロフレ峠をワダチだけを頼りに越え(止まったら車の中で凍死)函館に着いたのは深夜でした。

それから青函連絡船に乗り(その頃はまだ就航していた)まだ暗いうちに青森に着きました。あとは東京という標識を頼りにひたすら走りました。途中で田んぼに落ちダンプに引き上げられたり、暗い山道をクネクネ曲がり落ちそうになりながら、恐怖に包まれて何時間も走ったり、ひたすら東京方面を目指し走りました。2日目の夜とうとう眠くなって道沿いにあるモーテルに入りました。既に茨城県でした。翌日昼頃起き出し、また車に乗り込みました。そして夕方とうとう姉夫婦のすんでいる千葉県松戸市常盤平団地に到着しました。翌日すぐ車に乗り東京方面に出、道も分からずに走らせ適当に着いた町の不動産屋に入りました。杉並区方南町でした。そしてその近くのアパートの4畳半を借り、住む事になりました。

勤務先は学生時代札幌で一時アルバイトをしていた明通の入社試験を受け入りました。入ったはいいけど暇でした。でもアパートでは近くの地元の若者幾人かとすぐ友達になりました。学生で測量のアルバイトをしているイイさんとか、父が鉄工場を経営している東北訛りのあるチュウさんとか、その可愛い妹とか、従兄弟とか。またアパートのすぐ近くに小さなスナックがあり、気の弱そうなマスターと伊豆出身のスラッとした美人のアルバイトがいました。会社から帰るとそこにいき、水割りを飲んだり晩飯を食べたりしました。

ある日アルバイトしかいなかった時、僕はチャッカリ明日海にこうと誘いました。彼女もアッサリいいよと言ってくれました。明日は土曜日、会社は半ドンでした。翌日僕は海に行く用意をして車で会社に行きました。心もソワソワ、仕事も手に着かず、12時を迎えました。僕は近くに駐車してある愛車カローラに乗り込みました。そしてキーを回しました。アレッ!エンジンがかからない。ウンともスンとも言わない。まだピカピカの新車で故障するはずもないのに。僕は何度も何度もキーを回し続けた。それでも車は無反応、こんなバカな!一体どうしたんだ?それから電話でトヨタのサービスを探してメカが来たのは午後4時。メカがキーを回すと一発でプルプルと軽いエンジン音。「お客さん、何やってんの?こちらも忙しいんだから」と叱られてお終い。それからガスを入れたり何をしたりとモタつき、結局アパートに帰り着いたのは午後6時。約束の午後2時は遠く過ぎ去っていた。

それからきまり悪くスナックに行き「車が故障したんだよッ」と言い訳したが、彼女は「あっそう」と冷たい顔。その後彼女とは気まずい関係になってしまった。僕は一体何が起こったのか良く分からない。まるで狐につままれた?気持ちであった。それから一月後、札幌の母から電話があった。毎月来る祈祷師が僕のことを話したという。僕等が海に行くと泊まることとなり、その結果彼女と結婚することになる。そして相手は水商売なので上手くいかず、結局すぐに離婚することになる。と死んだ父が心配し、邪魔をしたとの事。何ということだ!僕の恋路を邪魔したのは死んだ父なんだ!せっかくカワイコチャンとお泊りが出来たのに、ほっそりした色っぽい美人なのに、悔しい!僕はその時本当に怒った。人の恋路を邪魔されて。「親父、余計な事してくれるなヨ!少しやりすぎじゃないかッ」僕はそれ以来スピリチュアルが大嫌いになった。本当少しやりすぎだと思うヨ…。  (2009年10月10日)