嬬恋ファームイン (PD-15)

今朝は夏まで机を置かして貰っていたTRさんの夢。TRさんの所に昨年までいたKY君が出てきて、仕事の事で僕と3人でゴチャゴチャやっているたいした事のない夢だ。昨年早くTRさんはメインクライアントのFT社の一担当者と喧嘩になり、扱い(売上)を大幅に減らした。その為KY君を辞めさせたのだろう。TRさんは今時珍しい筋の通った男で、20年位前にその頃僕のいたDA社で組合の委員長をやっていて、労働争議の中で自分の仲人である社長を退任させた責任を取り一人で辞めていった。何も辞める事はないと思うのだけれど、彼は黙って筋を通した。組合の執行部も持ち回りなので誰でもやらされた。僕でさえ一時期書記長をやっていた。TRさんもあの「沈まぬ太陽」の主人公と同じである。タマタマ悪い時期に委員長をやらされただけであり、彼はまじめにその責任を果たしただけだった。だからFT社のトラブルも多分相手が無理難題を吹っかけたのだろう。大企業の担当者は巨大組織に守られているのでいつも強引なのだ。負けるのはいつも零細な下請け業者だ。

その後彼は会社を作り、といっても殆ど彼一人であるが、今まで20数年間会社を存続させてきた。立派なものである。見ていると人生は面白いもので、ほんのチョットしたきっかけで流れがガラリと変わる。必ずしも力量のある人が組織で生き残るわけではない。無能な人間がうまく立ち回ったり、流れにうまく乗ったりすれば高い地に登る事が出来る。ただ長い眼で見た人間の価値としては、やはり筋を通し正しく生きていった方が美しいし価値も高いと思う。そういう意味ではTRさんにはこれからも頑張って生き抜いて欲しい。人のことは言えないけどネ。こちらの方は社会に出て以来有為転変。女房に言わせれば「杜子春」の如く、あるいは「ジェットコースター」のような人生だと。まあ言いえて妙だネ。もう少しうまく立ち回ればと思わないでもないが、よく考えればこれは自分の性格から来たもので、もしやり直しても同じ事を繰り返すだろう。だから残り少ない歳月だが、これからも自分のスタイルでやっていくより仕様がないと思うヨ。「これでイイノダッ!」

次に出てきたのは、MT社で同期でAT社でSP局長をやっていたKDさんだ。昔は「コンチャン」だったけれど、こちらの地位低下で今では「KDさん」だ。彼はまだAT社にいた20年位前から仲間達と「嬬恋ファームイン」を始めた。都心のサラリーマン達が群馬県嬬恋村で週末百姓を始めたのだ。普段は都心のバリバリのサラリーマン。大手自動車メーカーの役員もいれば、大手企業の研究員、大手広告代理店の管理職など、ある種のエリートサラリーマン達が素人百姓を始めたのだ。週末になると彼らはイソイソと家族を連れて嬬恋村に向かう。僕もその頃農業企画を書いていたので彼らとは多少の付き合いがあった。不思議に僕の知人も何人か参加していた。大手広告代理店AK社のマーケティング局長SG氏や、老舗化粧品メーカーの制作部で僕の大学の先輩であるFS氏など。「嬬恋ファームイン」はその後規模を拡大し、リタイアしたメンバーの中には嬬恋にログハウスを建て住み着く人も多かった。考えてみれば羨ましい生き方だよネ。定年までは都心のビジネスの場で活躍し、リタイア後は畑を耕し美しい田園の中で暮す。晴耕雨読を地で行く暮し方。

僕はその後自分の会社を潰してしまったので、彼らとの付き合いも途絶えてしまった。でもそれが自分の人生なのだ。僕自身昔からの変わり者で、人との付き合いが結構面倒で、酒を飲むのも独りのほうが気楽だった。いつも安い居酒屋でつまみを2〜3品取り、お銚子の1〜2本も飲めば充分イイ気持ちになった。だから今の孤独も自分で招いたものだ。それでもちっとも寂しくないので、これは自分の性格だから仕様がない。とまた話が微小化していくので今日はこの位で…。 (2009年12月2日)