真空の塊 (SD-30)

僕の所に若い女の子から連絡が入る。どうも自分の周りに真空の塊ができるらしい。その娘は近頃方々に真空の塊ができていると言う。宇宙じゃああるまいし地球の大気と真空が共存できる訳はない。どうもその塊は長楕円形をした数メートル位の横向きのものらしい。それが中空に浮かんでいる。でもどうやって見分けるんだろう。それに触れれば分かるんだろうか?しかしそれに触れれば危険な筈だ。

夢とはいえ、この真空の塊の事は何も分からない状況だ。とにかく僕はそこへ行ってみようと思ったが、夢なので行く前に目が覚めてしまった…。

大体真空は普通の大気の中では存在しない。普通大気は膨大な気体分子に満たされている。絶対真空とは空間中に分子が一つもない状態を示す。しかし宇宙でさえ気体分子は存在する。それと大気中に真空があればそれを守る強固な隔壁が必要な筈だ。大気は気圧=圧力があるが、真空の圧力はゼロに近い。しかしこの夢では真空状態がアッケラカンと現出している。大気と同居して。

そうであればこれは何かの比喩なのか?例えば昔野間宏の小説に「真空地帯」という話があった。これは日本軍の過酷・凄惨な状態を内部から見つめたものである。激しいリンチや制裁がまかり通る軍隊を称して「真空地帯」と言った。それと今日は何と「終戦記念日」だ。そうであればヒョットすると若い女の子の前に現れた真空の塊は、ムダに、無意味に死んでいった戦時中の若者の英霊ではないのか?チョット考えすぎか?しかしムダに、無意味に死んでいった英霊たちの魂は、本当は今も心休まらないだろう。それは数百万の迷える魂である。この浮かばれない魂たちが僕らの周辺に漂い、僕らをまた血迷った道に進ませないとも限らない。でもそれは少し考えすぎか?

とにかく今の幸せな日本国民は、この可愛そうな、理不尽に殺されていった無数の英霊たちを、きちんと追悼しなければならないのかも知れない。一部の政府機関が追悼式典をあげるだけではなく、国民一人一人がきちんと自分達の身代わりになって死んでいった無数の英霊たちを、心から敬い追悼する必要があるのかも知れない。それは国民一人一人が中空に手を合わせて祈る。若い人も自分だけでも出来る事だ。英霊たちの冥福を祈り、彼らの日本という祖国への殉死を悼み、心からの哀悼の意を示すべきかも知れない…。  (2010年8月15日、終戦記念日