喉痛鼻水 (PD-142)

久しぶりに風邪を引いた。始め喉が猛烈に痛く、ルゴールを何度もつけたが直らない。そのうちクシャミと鼻水も猛烈に出る。そして体も熱っぽい。完全に風邪ひきだ。僕は家にある売薬を飲んだがサッパリ効き目がない。仕方がないのでしばらくぶりにマスクを着け医者に行った。マスクの中は鼻汁で濡れている。我ながら情ない状況だ。

でも医者に抗生物質をもらえればすぐに直る。医者は今年の風邪はしつこいんですよと言って、喉の薬と熱さまし程度で処方しようとした。僕は慌てて抗生物質も下さいと念を押した。ただの熱さまし程度では僕の風邪は直らない。抗生物質のお陰で2〜3日するとほぼ回復した。でもまだ何となく熱っぽく体もだるい。こんな時の夢はきつい。一晩中体を総入れ替えするような夢を見る。実際に体が抗生物質の力を借りて細菌を殺し続けているんだろう。頭の中も何かで猛烈に回転しているのが分かる。

今日も一晩中自分の思考を整理している夢を見続ける。自分の考え方を整理し、白い大きな紙の上に縦10cm、横は長く右端が切れていて分からない。ちょうど右端が断ち切れている矩形のゲラを見ているような感じだ。文字の級数も大小様々だ。よく見るとそれは仏教の考え方を整理したものだ。多分先週読み終えた増谷文雄の阿含経の解説書のせいだ。これは釈迦の実際の説教を集めたもので、いわゆる「如是我聞」で始まる原始仏教の根本聖典である。この中で仏陀は人の生き方、考え方を説き、決して怪神乱魔?は語っていない。だから原始仏教は釈迦の悟った貴重な人生哲学である。

それが大乗仏教になるとガラリとその姿を変える。怪神乱魔や曼荼羅が出現する。だからバラモンの神やヒンズーの神が入り混じる。要するに神話の持込や創造が行われる。日本に入ってきた仏教とはそういう創造神話に近いものである。だから皆は中々それが信じられないし、坊主どももその解釈に四苦八苦する。そして終いには悪人、殺人者でも「南無阿弥陀仏」を唱えさえすれば極楽往生出来る事になる。つまり釈迦の人生哲学を作りかえるからそんな混乱が起きる。つまり釈迦の説法は大きく捻じ曲げられている。それが大乗仏教の姿だ…。

これはキリスト教でも同じで、既に福音書の段階で創造が行われ、キリストの実像は歪曲される。彼の弟子を含め人々は彼の大いなる優しさを評価せず、ユダヤの独立つまりメシヤの出現や、彼が示す奇跡だけを期待する。つまり宗教はどうしてもその始祖と民衆の間にギャップが生じる。民衆の求めるものが精神的なものではなく、実利・実益だけだからである。仏教にも同じ事が起きる。釈迦の人生哲学がいつの間にか荒唐無稽な曼荼羅になる…。


僕は今増谷の2冊目「仏陀 その生涯と思想」を読んでいる。でも仏陀の誕生から既に定型の誕生神話が語られる。増谷はこれはどの宗教にでも起こる当事者の神秘化だと言っている。仏陀がマーヤーの脇の下から生まれたとか、生まれた途端数歩歩いて「天上天下唯我独尊」と言ったり。でもそんな事は嘘に決っている。言う訳はないだろう!だから僕は釈迦が説く人生哲学をジックリ読み込みたい。その生き方、人生も含めて。でも僕は出家仏門する積りは毛頭ない。ただ故人の優れた足跡を辿るだけだ…。  (2010年12月3日)