焦る夢 (PD−178)

今まで見続けた夢の何分の一かは“焦る夢”だった。何かをしなければならないとか、何をどうするとか、このままでは取り残されるとか。これは客観的な状況なのか、自分特有のものなのか、中々判断が付かない。特にこの頃は僕はリタイアした無為・無動の人?である。だからこの頃は常に自分に語りかけている。ユックリしろッ。時間は幾らでもある。焦る事は何もない…。でもいまだに見る夢の何分の一かは“焦る夢”だ。我ながら情けない。我ながら嫌になる。人間はやはりいつも何かに追われている生き物かもしれない。ヒョットすると人間の大脳皮質が発達して以来、心の中には常に何かに追われ、何かの焦りがあるのかもしれない…。(人間が二足歩行を始め、森を出て草原で暮らすようになって以来、常に何かに追われている?でも実際いつも危険にさらされてきた、と話は大きくなるが…)

今日の夢は3部作?だった。初めの夢はオフクロもいた。我が家で次兄と僕がいて、もう一人親戚の?若い娘がいる。(この娘は誰だ?)僕は彼女を高級ホテルにお茶に連れて行こうとする。彼女の社会への顔見世デビューのつもりか?でもお金が心配だ。二人でお茶とケーキで3000円以上は掛かりそうだ。(情けないが僕は今貧乏だ)ましてや飯なんかはとても食えない。次兄が僕に少し資金援助をしてくれるようだ。近頃次兄は少し余裕があるんだろうか?

その次はお“父さんKM”が出てきたのでDA社の話だろう。皆でゴルフに行こうとしている。すると僕のゴルフシューズだけがない。僕は慌てて自宅に取りに戻る。札幌から小樽まで。そして自宅で女房とゴルフシューズを探すが出て来ない。時間はドンドン過ぎていく。その内意外な所から立派なゴルフシューズが出て来る。僕はそれを持って慌てて札樽国道へ出る。何か小さな椅子のような車に乗って走りながら、タクシーが通るのを待っている。でもタクシーは中々来ない。僕は焦る。この場所は住吉神社の前のT字路の所だ。この字の縦棒を真っ直ぐ降りると運河に突き当たる。そしてゴルフコースはいつもの夢のように山の上だ。車でドンドン山道を登らなければならない。それにしてももう間に合わない…。僕は焦る。


最後の夢はやはり僕は幹線道路を走っている。さっきの椅子車だろうか?画面はもう暗くなっている。僕は何とか公的車に乗り移らなければならない。大きく安定しているパブリックカーに乗れば、スピードは早く、安心して自分を任せられる。その内やっと乗れて僕は安心する。(果たして本当に乗れたのか?)その車が何を示すのかは分かるような気がする。でもここでは書きたくない…。とにかくこの年になって“焦る夢”を見続けるのは、何となく不可解である。でも今後も見続けるだろう。僕が生きている限りは。所詮人間はいつも何かに追われて生きていく動物かもしれない。昔家康は「人生は重い荷物を背負って坂を上るようなもの」みたいな事を言ってたっけ?


※今日6月8日、女房が自分の姉と電話で長話をしていた。例の姉の娘のDV問題、離婚問題である。娘は暴力を振るう怪しい旦那と別れたがっている。しかし社会的にはトロく、いつも旦那にうまく丸め込まれているようだ。家を出ようにもお金がない。いつも生活費ギリギリしか渡されていない。しかも近頃少し貯めていたお金まで旦那に持ち去られたらしい。本当にトロい娘だ。このブログの始めの夢、親戚の若い娘を外へ連れ出そうとしても僕にお金がない話。この娘は小太りで結構オバサン風だったので、姉の娘かもしれない。僕はもう10年以上会っていないので、どんな顔をしていたのかもう思い出せない。夢の女性がこの娘なら確かに困った状況になっているようだ。でも僕には彼女を外に連れ出せないし、現状どうもしてやれない…。