西への旅立ち (PD-182)

今日の初めの夢はオフクロが出てきた。目覚めると午前3時だった。僕は家にいてオフクロが僕の旅立ちの用意をしている。僕はやせていて洒落た背広姿になる。黒っぽい粋な背広で出かけようとする。どうも大阪行きの特急に?乗るようだ。これも何だか黒い洒落た特急だった。そして背広にも特急にも洒落た赤い線が入っていた。そこで目を覚ます。トイレにいく時時計を見ると午前3時を回っていた。

次の夢は明け方だ。僕は学校にいる。高校か大学か?場所は時々出てくる朝里である。(小樽・札幌間にあり、小樽に近い小さな町である)僕は授業が遅れている。サボりと不勉強で数学の?単位が取れなくなりそうだ。でもその日もサボり学校をあとにする。僕はバスではなく歩いて帰ろうとする。朝里から小樽までは何時間掛かるのか?でも僕は歩き出す。途中札樽国道を右に曲がり海に出ようとする。海までもかなりの距離がある。朝里は小樽のすぐ隣の海水浴場熊碓(クマウス?)の隣にある海水浴場だ。朝里川の奥には温泉もある…。

始めの夢は単直に考えれば僕は早ければ来週前半に腎臓疾患で入院する予定だ。その為に今週は生活保護の申請に行った。僕の安い年金では入院費用は出ないからだ。だから何とか入院できるのか?でも医者に入院しろと言われてから、既にもう一月過ぎている。その間に病状はさらに悪化しているかも知れない。夢は僕の入院を暗示しているのか?この件では死んだオフクロが今までも凄く心配してくれた。勿論夢の中だが。もっと解釈を進めれば、僕は黒い服を着て黒い列車に乗り大阪に向かう。つまり西に向かう。西とは西方浄土か?つまり僕はおしまいなのか、あの世いきの列車なのか?そしてオフクロが僕の旅立ちの世話をする…。

次の夢も良く見るパターンだ。場所は別に何処でもいいが、朝里や熊碓も時々夢に出てくる町だ。熊碓では以前に戦争の夢も見た。でもこの夢の内容は僕にとっては嫌な夢だ。学校の授業についていかれず、落第したり卒業のめどが立たない夢だ。でもそれは事実ではない。大学ではオサボリで卒業できない先輩は複数いたが、僕はちゃんと卒業した。それにもかかわらず時々サボりすぎや卒業できそうもない夢を見る。その時はやはり嫌〜な気分になるし、絶望的な気持ちになる事もある…。

これは不思議な事だ。つまり僕は何か遣り残した事が有るような気になる。もう老人の僕に。今まではそれなりに夢を追って、自分としては過大な仕事をしてきたつもりだ。小さな広告代理店にいて、一流企業の扱いを獲得したり、国際的なスポーツイベントを複数こなしてきた。最後に自分の会社を潰したが、これも経緯上止むを得ない事だと思っている。会社を破産させて昨年12月で10年が過ぎ、社会的制裁も十分に受けたと思っている。つまりこの期間に幾ら良い企画を書いても仕事にならなかった。だから最後に僕は、つまりこれは天による制裁で、この10年間は何をやっても実を結ばないと諦めるようになった。

僕のペナルティ期間は一応終わったが、僕はもう67歳。それと体の調子も最悪?である。ここで体を直して、体制を立て直してもう一仕事とは中々いかないだろうと、近頃では少し諦めかけている。でも頻繁に焦る夢や、オサボリの夢、落第の夢を見る。僕はまだ何か遣り残しているんだろうか?確かに僕のライフコンセプトのソーシャルプラン(公共企画)の実現率は低い。日本農業の発展・拡大や、熱帯雨林の保護・修復などの為の企画は実現できなかった。つまり「アグリパーク企画」、自然農業体験公園の設立や、「アースパーク企画」、世界の熱帯雨林の保護と修復などは、それなりに営業努力したが実現できなかった。どちらもスケールが大きく、個人の力ではどうしようもなかった。幾らディズニーやマーフィーの祈りをささげても、願えば叶う、行動すれば実現できるという信念を持っていても、やはりできない事はできなかったし、これからやれと言われても多分事業創造の三拍子―能力・体力・資力的に無理だろう…。

それと熱帯雨林は破壊・消失のスピードが早く、東大の某教授ももう間に合わないと言っている。つまり僕らには破壊されていく地球のエコシステムを、嘆きながら見ていくことしか出来そうもない。あのアル・ゴアでさえ、彼の環境プランは(グリーン・マーシャルプラン?)実現できなかった。人間の欲やエゴが熱帯雨林を確実に破壊していく。だから言い訳ではないが、僕がもしそれらを実現しなければならないのなら、多分それは次に生まれ変わった時だろう。でもその時は既に地球の環境はどうしようもないほど破壊されているだろう。だから僕がよく夢で見る、卒業できないとか、焦る夢は、僕にはどうしようもないものだ。僕は自分でできる事はやってきたつもりだ。社会の捨石になって、クライアントの罵声を浴びてもやってきたつもりだ。だから何でそんな夢を見せられるのか、焦る夢や遣り残しの夢を。僕には自分が理解できないし、どうしてこんな夢を見せられるのかも理解できない…。


これは何日か前のブログでも書いたが、人間は常に何かに追われているような精神状況にあるのかもしれない。つまりこれは僕だけではなく、一般的に人間の背負った精神的宿業かもしれない。でも自分の活動に不足があれば、また生まれ変わってからやるのも一方かもしれない。でも自分が何を遣り残したのか?自分が誰の生まれ変わりなのか?そんな事は分かる筈もない。考えてみれば本当に困ったもんだ…。