次兄への電話 (ND-12)

今日しばらくぶりに次兄に電話をした。先日の送金へのお礼である。これは次兄への貸し金の一部返済となる。でも返して貰う積もりもなかった。しかしこのお金で僕は無事に引越しできた。この事は自分の娘に強く言われていた事である。次兄に有難うと言いなさいと。我が娘ながらよく出来た子供である。親に似ず心優しい娘である。僕は昨日テスト入院を終えて自宅へ戻ったが、医者の言葉は愕然とするものだった。糖尿病性腎症、CRE(クレアチニン)値が非常に高く、人工透析も間近いという有り難くないものだった。でも僕の心は意外と平然としている。今まで気ままにやってきた報いが訪れただけだと。糖尿病を20年近くほったらかして、インシュリンの投与を受けず、やっと血糖値が正常に戻ったと思ったらCRE値が異常に上がり、もう腎臓の機能は10%に落ちているという。何という矛盾、何という不条理な事か。でも近頃僕は色々考える。今まで見せられた多くの夢は僕に強い反省を促している。僕は今まで随分多くの助けを自分の周りから受け、それをあまり感謝もしていなかった。自分の会社を潰し、自己破産もし、この10年苦労を重ねてきたが、いや実はちっとも苦労しなかったが、こんな救いの多い人生は周りに感謝して余りあるものがあると。我が愚愛妻も、我が娘達も、僕や女房の兄弟達も、僕の周りの人達も、何というやさしい人達だろう…。

だから今まで人生のピンチを実に上手く回避してきた。まるで何かに導かれるように。今回の生活保護に関しても、死んだオフクロが随分力になってくれた。オフクロが夢の中で何度も助けてくれる。僕を救う為に駆けずり回ってくれる。何という有り難い事か。だから僕は生活保護の認定を受けられ、無事テスト入院も出来たし、これからの医療についても心配なく受けれるようになった。オフクロッ!小さい頃から本当に有難う。体の弱い僕を背負って何度病院に行ってくれた事か。死んでからもこんなに心配してくれる。だから近頃有り難くて手を合わせたくなる。それと自分の周りの全てのものにも。そして考える。僕の人生の後半の不幸も実は自業自得だったと。自分の蒔いた種を、因果を、今自分が刈り取っていると…。

つくづく反省すれば僕は傲慢であった。僕が社会に出て、僕を引き立ててくれた人を随分裏切ってきた。僕を会社に入れてくれた人にすぐに逆らった。その人のここが悪いとか、そんな事は許されないとか、狭い正義感で紹介者を攻撃し追いやった。彼にとって見れば飼い犬に手を噛まれた事になる。そんな事が数回も続いた。我ながら本当に悪い性格だ。DA社にいた時もやはりそうだった。その内組合活動で経営陣を攻撃し何度も社から追い払った。自分が多少能力があるので?他人が馬鹿に見えた。本当に傲慢以外の何者でもなかった。だからその内部下のクーデターに遭って社を追われたが、よく考えてみれば自業自得である。僕がやった事をそっくりそのままやり返えされた事になる。その反乱者は野心家で強引にクーデターを進めたが、3人組で組合を扇動して。しかし彼は数年後に若くして肺癌で死亡する。僕はザマア見ろとせせら笑ったが、よく考えてみれば僕も似たような事をしてきた。まさに因果は巡るである。今別のブログに「お釈迦様の話シリーズ」を書いているが、人間のやる事は大昔から変わらない。マガダの王もコーサラの王も息子のクーデターで殺される、あるいは死に至る。本当にやりきれない人間の因業である。釈迦はそういう悪い因果を自ら断ち切った。親も妻も子供も捨てて。釈迦はそういう意味では意思の強い人であった…。


だから僕の釈迦のブログは逆に僕を目覚めさせたのかもしれない。近頃になってやっと自分の周りへの感謝の念が生じてきた。だから僕に好意的な人だけではなく、敵対した人達にも近頃感謝の念を持てるようになった。今のDA社の混乱にも同情の念を持てるようになった。彼らも自分で出来る最大限の努力を払っているのだと…。それと僕の周りの、僕に好意や援助の手をさしのべた人達にも。だから僕はこの「気付き」に感謝している。一人の人間の周りには何という膨大な好意、善意の輪がある事かと。だから僕はこの頃だんだん有り難くなってきて、もう先は長くないのかもしれない…。