大手不動産会社 (PD-184)

今朝は懐かしい夢だ。僕は大手不動産会社のオフィスにいる。僕の近くには広告宣伝担当のTMさんもいる。彼は少し片目が悪い。だから営業ではなく内部スタッフになった。今このオフィスに新型コピーマシーンが入った。その利用マニュアルが9冊あって、その内の一冊をTMさんから貰う。僕はこの複雑で高度なシステムで、何かを作り出そうとしている。僕は中小広告代理店の企画営業だ。つまり自分でマーケ企画や販促企画を書き、それをスポンサーに売り込んで仕事にする…。

僕は広告屋として30台前半の頃大手不動産販売会社の営業をやっていて、この企業もちょうど不動産流通を始める時だった。だから結果的に後に「リハウス」と呼ばれる流通システムの立ち上げ事業に関わった。だから頻繁に「不動産特選市」等を開催した。それと“不動産情報収集システム”の企画も書いた。「MTPシステム」と言い、後に親会社のMT不動産と博報堂にその仕事を持っていかれた。この仕事は子会社のやる事ではないと言われ。そしてネーミングも「LETS’」?に変えられた。

僕は面白くなくてこの会社の担当をはずれ、大手化学企業の住宅部門の仕事を開発した。そこでアパート部門の扱いを貰い、そこでも“不動産情報収集システム”を構築した。そしてそのシステムのネーミングも自分でした。名づけて「RELATION」?我ながら中々なネーミングだと思った。そしてその企業の扱いもたちまち数億を数えるようになった。しかしこのシステムの媒体扱いは電通に持っていかれた。つまり毎月全国紙数紙に全ページ広告を掲載するのである。売り上げは月数千万になる。ここでも僕は中小代理店の悲哀を味わった。だからその後僕はさらに自己領域を広げ、ソーシャル・イベントを始めるようになった。ウォーキングやテニス等の。歩け協会と力を合わせ「日本スリーディマーチ」の扱いや「横浜シティ・ウォーク」の立ち上げ、ITF(国際テニス連盟)に協力し、14歳以下の世界大会を7年間山中湖で開催した。後にはマッケンローやコナーズ、ボルグを招き有明でシニアの世界大会を5回開催した…。


それはともかく今日の夢はまた恐ろしい夢である。例のMTPシステムで、僕はよせばいいのに、僕が議長で毎週マーケティング会議をその不動産会社で開催するようになった。僕の企画の中にそういう提案を入れたからである。でもそれは数回しか続かなかった。広告屋が主催して不動産のプロを集めてマーケ会議を開くなど、やりすぎである。というか不遜である。その夢はその会議で僕が立ち往生する夢である。これは今までに数回夢に見せられた。つまり僕はやりすぎてしまった。だから時々立ち往生して真っ青になる夢を見る。目を覚まして自分の冷や汗を確認する。何にしろ自分の持ち場というものがある。それを超えて出すぎた事をしてしまった。だからいまだにそれを夢に見て脅かされる。これも自業自得というものか?ああ恐ろしい…。