広報部長の訓告 (PD-239)

昨日は午後11時頃眠り、目を覚ますと朝5時を回っていた。珍しく途中起きもせずグッスリ眠った。でも起き掛けの夢は訓告と焦燥の夢だった。僕の元大スポンサー、大手通信系データ会社?の広報部長が夢の中で僕を訓告する。ある飲み屋の部屋で僕と広報部長と同部ベテランのMT係長が?いた。広報部長のKJさんは穏やかで知恵のある人で、僕のやっていたテニスイベントでその冠スポンサーをやってくれ、尚且つ我儘で子供っぽい僕を有り難くもカバーし続けてくれた人である。

僕は自分自身の幼稚さ、傲慢さでその広報部では評判が悪かった筈。尚且つ数年目に僕の部下の造反を押さえてくれ、僕がそのイベントを終えるまで何とかやって行けるようカバーし続けてくれた恩人である。というか彼自身も僕のようなガキを相手にして困惑しただろう…。今考えてみれば僕は決して賢明、温和な人間ではなかった。逆に頑固で傲慢な人間であった。このイベントの終了と共に僕の会社が潰れたのも当然で有ったかもしれない。つまり因果応報で、今まで自分がやってきた負の行為、積算が、見事に自分に跳ね返ってきたと言うべきか。僕は頑固職人ではあったが、決して有能な経営者ではなかった…。

僕の出入り禁止にした部下は、その広報部と結託し僕からそのイベントを取り上げようとしていた。それを知った広報部長は多分部員達をなだめ、僕と広報部との間を調整してくれた。出入り禁止のSDが、密かに僕から仕事を取り上げようとしていた事など、僕は全然気付かなかった。そういう点では僕は鈍い人間である。僕はDA社でお父さん社長KMについて仕事をしていたが。ある日YT専務が社長打倒を目指し、営業部員全員を連れ箱根で気炎を上げていた。知らなかったのは社長のKMと僕位である。それを知ったのも随分あとの事だ…。張り巡らされた陰謀を何も知らず、何とか生き伸びてきた自分の何という幸運か?それとも馬鹿か?(でもそんな人間のグチャグチャは知りたくもない…)

専務の反乱は、専務がDA社会長のTUに社長にならせてくれと言いに行ったが、社長を信任していた会長がそれを断り、逆に専務が退社する事になった。その裏で激しく動いていた社内状況を僕は一切知らなかった。あるいはそんな事には全く興味がなかった。僕は単なる仕事職人で、高質な仕事を遂行する事だけが僕の願い、望みであった。まあまるで子供のような存在だった。つまり僕はデザイナーの昔から職人、アーチストであり、それ以外の事には全く興味がなかった。如何に自分の作った仕事を緻密に、完成度高く仕上げるか?その事にしか興味がなかった。だから造反も破産も僕にとっては当然の事だったのかも知れない…。


しかし僕は仕事をやっている間中、逆に色々な好意、支援に支えられてきた。それは所属組織の内外でである。それと天と?だから先日僕のもう一本のブログに幸せな人生だったと書き、僕の周りに、天に感謝の念を表わした。でも僕はまだ生きている…。KJさんの夢を2回も見たのは、夢の中での僕に対する訓告であり、叱咤だろう。僕の頑迷さを思い起こし、それでも支えてくれた恩人達を忘れるなという…。だから僕はこのブログで、僕に関わった多くの人達に感謝の念を表わしたい。僕のスポンサーやお父さん社長や同僚、友人達に。さらに僕に造反、敵対した人達にも…。本当に僕のようなガキは、その周りの人達にとっては、異星人を相手にするような困惑に捕われただろう。


この位言えば僕の現在の気持ちを表現できただろうか?だから僕は今感謝の気持ち一杯で、徐々にボケていっている。何という幸運か?大団円か?おっとまだ僕は死んでいなかった…。