夢三題(PD-262)

数日前天敵SDの夢を見た。彼は昔と変わっていなかった。相変わらず自分の仲間の利害を優先させる。彼と決別したのもそのせいだ。僕は仕事での評価でスタッフを選んだ。彼は仲間だと思った人たちを大事にする。仕事の評価は別だ。その日の夢も、彼は自分の後輩たちを連れて来て仕事で使えと言う。だからあまりフェアではない。下手をするとその辺のヤクザの親分と同じだ。つまり彼はちっとも進歩していない。彼はどうして自分の狭い想念に閉じこもるのだろう?それが彼の人間の限界だろうか…?

昨夜の初めの夢は、大きな邸宅に親父が堂々と座っている。画面は暗い。僕は玄関の方?へ降りていく。玄関までは結構距離がある。そこは大きなトイレになっていて、真ん中に木製の便器が置かれ、新聞紙とともにこげ茶色のウンコが溢れている。僕の夢ではウンコはお金の象徴である。僕は近頃お金が天から降って来いと無理な願いをしている。現在の安定したつつましい生活から、何とか一歩踏み出したいと願っているからである。今まで散々迷惑をかけた女房に、少しは楽をさせたいからである…。夢では巨大ウンコの山に巡り合う。果たして大金が入るかどうか?

起きがけの夢は、僕は修行僧になっていた。僕らは白っぽい僧衣を着て座禅をしている、あるいは祈っている。数十人の僧侶が固まって宙に浮いている。僕もその中の一人だった。大して高くもない空間の中間に僕らは浮いている。画面はやはり暗い。僕らはその空間の下から湧き上がってくるものを何とか止めようとしている。一体何が浮き上がって来るのだろう?多分悪しきもの、良からぬものたちだろう。一体どんな魑魅魍魎たちなのか…?


近頃僕は人の性格や、その人の死後の魂のあり方について疑問を持っている。現生で悪い奴は死んでからもやはり悪いようだ。近頃それを夢で思い知らされる。だから人の性格に不思議さを感じている。これではあの世へ行っても浮かばれないだろう?多分彼らは浮遊霊か自縛霊になるんだろう。その辺の不思議さがあって僕は近頃少しスピリチュアルの本、つまり江原さんの本なんかも読んでいる。それと同時に自分の魂のあり方も模索している。つまり僕はもう老後なので、今後どういう生き方が正しいのか?どんな魂のあり方が正しいのか?を模索している。だから近頃色々な方面の著作を読んでいる。まァそれはそれで自分の横幅が広くなるから、いいのではないかと考えている…。


※僕が坊主になって皆と一緒に祈っているのは、8月13日に見た、僕がミイラになっている夢と関連があるのだろうか?ヒョットすると僕は近々死ぬのだろうか?そしてひっからびたミイラになるのだろうか?そして僕は一体何を皆と一緒に祈っているのだろうか?ヒョットして近頃の隣国の嫌がらせを防ごうとでもしているのだろうか…?