春の兆し(PD−283)

今日の夢は、僕は若い女の子と歩いていた。僕はどこかの部屋で彼女と寝る。彼女の下半身はむき出しである。僕は彼女のシャツをむしり?と言うか上にずりあげて、胸をむき出しにする。彼女の胸はまるで平坦で、少しのふくらみもなかった。そして乳首だけがそれなりに大きく存在感を示していた。それだけの夢である。何だそれはッ?

少女は中性的な感じがした。僕も男と言うよりは少年のような感じだった。僕は珍しいものを見るように、少女の胸をむき出しにしていた。少女の胸は乳頭だけで、乳輪がまるでなかったのが不可解である。でも夢だからこんな事が起こる。多分夢の創造主の片手落ちだろう。それでなければこの少女は宇宙人である。エッ、宇宙人は乳輪がない?そんな事は分からないヨ。でも化け物のような宇宙人よりは、乳輪のない宇宙人のほうがまだましか?

近頃は年なので女房にも手を出さない。たまに冗談に体に触れてみても、邪険にふり払われ少しムッとする。でも朝から何を馬鹿な事を言っているのか?世の中のボケ老人は、みんなこんな事で戸惑っているのだろうか?やっと2月になったが、今年はまだまだ寒い。早く春の兆しが出て来て欲しい。木の芽が膨らむとか、フキノトウ?が顔を出すとか…。

近頃はいじめ問題や暴行問題で世間が騒がしい。日本はどうもこういう事を隠ぺいしようとする。でもそれは姑息な対応だ。こういう問題は人間の根源に迫るものだから、なおざりにしてはいけないし、隠ぺいしてもいけない。暴力は警察が介入、逮捕し、虐めにも家裁や警察が行動を起こすべきだ。基本的に人間は自由で、なおかつ他人から暴力やいじめを受ける言われはない。日本人はそれをすぐに隠ぺいしたり、事勿れにしようとする。そういう意味では、日本人はまだまだ姑息である…。

大体スポーツ界に蔓延る理由のない暴力は、全く無意味で、人間の尊厳を著しく傷つけるものである。つまり暴力をふるう方が頭の悪い、人間としての尊厳、資質にかける存在である。こんな奴は決して許してはいけない。そんなコーチはすぐに首にすべきだ。日本のスポーツ界にまだこんな古い体質が残っていて、しかも一部の人間がこれを認めようとすることは、とんでもない時代錯誤だ。つまり日本人はまだまだ国際感覚に遅れた存在だ。

有能、優秀な人間はそんな事はしないし、それを恥ずかしいと思っている筈だ。スポーツ界から頭の悪い暴力コーチは追放すべきだ。そんな前時代的練習方法しか取れないようでは、日本は国際的にスポーツ大国にはなれない。つまりコーチとは人間として優しく頭の良い存在でなければならない。日本にはまだまだそういう資質を持たない、レベルの低いコーチがいるようだ。


と、朝から何をゴチャゴチャ言っているのか?それより今日はどこを歩こうか?天気はいいし風もないようだ。フラフラ歩きつつ早く春の兆しを見つけよう…。

円筒の街(SD−79)

年に数回同じような景色の街を見る。街と言おうか巨大な建築物と言おうか。それは巨大な円筒形の建物である。直径何百メートルあるのか?階数は大体4階建てである。今日も4階建てであった。僕はその中を歩いていたり、外周を歩いていたりする。色彩は何となく茶色っぽい感じがする。外には雑草が生えていたりもする。

そこは時には学校であったりする。外側が廊下になっており、内側に教室が並ぶ。中庭は大体コンクリート敷で、方々に雑草が生えている。雑草の丈は相当高い。時にはそれが体育館であったりもする。そして床にピカピカなフローリング?が張ってある。また教室の中でバザールをやっている事もある。食べ物もあり、僕はお汁粉を食べていたりする。

でもそこは何故か普通の空間には見えないし、何か現実的ではない。何か違和感がある。僕は結局その建物から離れない、あるいは離れられない。時には教室が煙を吹いている事もある。廊下にガラスが散乱したりしている。その時はその建物は廃墟のように見える。そして人はいつも僕一人だけである。僕は別に寂しいとも感じない。この建物は一体何だろう?何の象徴だろう?


イメージ的には何となくカフカの感じがする。つまり建物も僕も何だか不条理な感じがする。巨大な円形の建物の中を一人で歩いているというのは、あまり普通には見えない。ヒョットするとそこは異空間かも知れない。でもいいや。所詮夢なので何でもアリだ。目覚めても僕は只そうなのか…と思うだけだ。

横殴りショット(PD-282)

今日は一晩中テニスの夢を見ていた。しかもかなり技術的な事にこだわっていた。多分それは昔在籍していた横浜のテニスクラブだろう。僕は技術的に上手い夫婦と対戦していた。彼らはサービス・アンド・ボレーで、サーブとともに素早く前に詰めてきて、結構年寄りの多い会員たちを手玉に取っていた。そのカミサンはボレーが上手く方々に打ち分けポイントを稼いでいた。

僕はストローカーだったので、そのカミサンがネットに詰めてくると思い切り強い球をぶつけ、彼女のラケットを弾いてやった。これを突き球と言うらしい。僕は結構嫌味なテニスだった。夢の中で僕はラケットを立てて振る事を心掛けていた。これはトップスピン、フラットスピンを打つセオリーで、ラケットをかぶせたりコネたりしてはいけない。僕は夫婦に時々痛い目に合わせた。

でも今日の夢ではそのカミサンと組んでテニスをやっていた。今まで気持ちを通わせたことはなかったが、夢では彼女の事を思いやった。何故だろう?夫婦も僕の事を思い出したのだろうか?僕がテニスを辞めてからもう20年も経つ。この頃時々テニスの夢を見るので、ヒョットすると僕の本心はテニスを懐かしがっているのか?


それならそれでその内テニスに再チャレンジしてみようか?70歳でカムバック?でももう軽やかなステップは踏めないだろう。と言っても元々バタ足テニスだった。ただむやみにラケットを振り回すテニスだった。特にバックのトップスピンが好きだった。昔はレンドルの三度笠トップスピンに憧れた。でも20年もして何でテニスの事を思い出すんだろう…?これを老化と言うべきか…?

ホーム探し(PD-281)

今朝は時々見る夢の同パターン。僕は新橋から横浜に帰るため駅に向かう。でもここで又障害に出会う。簡単にホームに着けそうなのに、近くまで行っているのに新橋駅のホームにたどり着けない。全く逆方向のホームに出たりする。しかもそこはペンペン草の生えている侘しいホーム。その先には何もない侘しい草原が続いている?

僕は慌てて逆戻りする。またいつもの夢の迷路に迷いこんでしまった。そして結構長い時間その辺を漂流する。僕はすっかり頭脳が疲労する。目覚めて僕は疑問を持つ。どうして毎晩のように頭脳を疲労させるような夢を見せるんだろう?一体誰が?でも出所は自分自身だ。だから多分僕の夢の精は自虐的なんだ。今朝も頭脳がずっしり重い…。

テニスの夢(PD−280)

時々テニスの夢を見る。それは素人プレイヤーとしての僕だったり、テニス事業をやる僕だったりする。今朝は僕はマッケンローやコナーズと東京の街を歩いていた。だからこれはテニス事業の方の夢だ。

僕は昔彼らを招いて有明シニアツアーの大会を開いた。有明は満員になった。何とマッケンローの人気の凄さ。このイベントは5年間続けたが、結局僕の会社は潰れてしまった。テニスイベントはそんなに儲かるビジネスではない。

だから夢とはいえ、またテニス事業をやりそうになるのは、チョット困ったもんだ。マッケンローやコナーズは懐かしいが、新たにテニス事業はやりたくない。でも僕はもうじき69歳になる。実際としては、多分僕はもう新規事業を起こすパワーはない。それに人工透析治療に通うのに忙しい。だからこの夢は多分過去の経験の残像に過ぎないのだろう…。

情景的初夢(SD−78)

時々自分のいない夢を見る。つまりどこかの情景だったり、何かの状況を夢に見る。勿論僕はそこにはいない。時々相当高い位置から、つまり俯瞰的情景を見ることもある。今朝の夢もそのたぐいか?

場所は東北地方太平洋岸沖合。ちょうど去年地震のあった震源地帯あたりか?灰色の艦隊が東北沿岸沖合を南下してくる。大した隻数はいない。しかしそれは日本艦隊だろうか?そこには航空母艦はいない。だからアメリカ艦隊ではないだろう。それは自衛隊か中国艦隊か?中国であれば領海侵犯ではないのか?

こんな情景が初夢とは情けない。そして夢だから情景の尺度が相当狂っている。つまり地図的に東北沿岸が見え、それは緩やかに右側に湾曲し、そこを数隻の艦隊が南下してくる。であればその艦隊はバカでかい。つまりこれは実際の尺度ではなく、夢としてのシンボリックな映像だ。


でもこれは位置的にロシア艦隊かもしれない。でも彼らがなぜ海岸線沿いに南下してくるのか?ヒョットするとまた東北沿岸に何かが起きるのか?初夢にしてはチョットきな臭い嫌な夢だ…。

連続夢(PD−279)

今朝は以前見た夢と同じような夢を見た。前回の続きではなく、前回と同じような内容である。考えてみると僕はどうも同じような夢を時々見るようだ。つまり夢の方もネタが尽きて、同じような夢を見せるのか?あるいは夢のテーマが僕にとって非常に重要ものなのか?

夢の中身は簡単である。東京町田にパン屋を起こすという夢だ。何の新鮮味もない古びた夢だ。でもその背景には我が一族に係わる壮大な?ストーリーがある。というのはチョット大げさか?僕の父は北海道のNRパンの専務だった。資本家の老社長の下、数人で始めたパン屋を北海道有数のパン屋に育てた人だ。

僕は小さい頃からその父の姿をジッと見て来た。何のケレンミもない実直で粘り強い人だった。老社長の下で3人の若者はそのパン屋を大きくしていった。でもある時その中の一人が野心を起こした。組合と結託しクーデターを起こし、老社長を追い自分が社長になった。もう一人の若者、でもその時は既に40台だったが、怒って会社を辞めた。父はジッと我慢してその不法をこらえた。そして引退させられた社長の息子、大学出たての息子を入社させた。

父はその息子を可愛がり、仕事をどんどん仕込んでいった。数年後とうとうチャンスが来た。会社乗っ取り男は組合の委員長とともに、今までの不正を暴かれ会社を辞めさせられた。まるで安っぽい企業ドラマのようだが、こんな事は日常茶飯事どの企業でも起こる事だ。これは人間の根源的な幾つかの性格に基づくものだからだ。

北海道を席巻したNRパンはその後東京進出を考えた。しかし父は残念ながら、多分志半ばで胃ガンであっけなく死んだ。59歳だった。さぞかし無念だったろう。その後社長の息子は社長になり、ある時東京に進出した。町田にある工場を買い取り東京支社を開設した。その後僕は東京で随分NRパンの看板を見かけ、頑張っているなと楽しかった。

だから町田にパン屋を起こすという夢は、僕にとってはチョット因縁のある?夢だった。でも何でパン屋の夢なんか見るんだろう?僕は大学を卒業以来ズッと広告関係できた。それは僕の志望通りだった。僕が何かの事業を起こそうなんて考えても見なかった。まして父が苦労したパン屋なんか…。でも実は父は生前、僕の大学の4年生の頃、ある時僕を説得した。広告なんかのハカナイ仕事をしないで俺の会社に来いヨ。でも僕は広告業の将来性を語り、卒業後は電通の北海道支社に潜り込んだ。そこからチャンスを見つけ東京に出るつもりだった…。その後一生広告業でやってきた。


だから今更パン屋の夢なんか見ても、僕は戸惑うだけだ。でもその後再びパン屋の夢を見たらどうしよう?ヒョットしたらこれは父の夢がかかっていた事なのか?そうなると僕は結構親不孝という事になる。困ったもんだと言おうか?どうでもいいと言おうか?少し気になる夢だった…。